葉山にある佐藤功一博士設計の住宅遺産 旧足立正別邸

先日、葉山にある別荘建築を見せていただきました。

昭和8年に、足立正という実業家の別荘として建てられた住宅です。足立正は、第二次世界大戦前に王子製紙の社長を務めた方で、戦後はラジオ東京(現TBS)の社長、日本商工会議所の会頭を歴任した実業家です。

設計したのは、佐藤功一という建築家で、早稲田大学建築学科の創設者です。早稲田大学大隈講堂や日比谷公会堂も設計した方です。住宅建築はあまり多くは残していませんが、住みよい住宅とは何かについて、探究したひとでもあります。

今回、そういった縁のある住宅が、売却されるという情報を聞きつけ、これは記録に残さないとという事で、取材に行ってきました。

敷地の入り口から玄関までは庭が広がり、サルスベリや桜などの木々の合間を縫うようにして、砂利の小路が敷かれています。
青い空を背景に、緑の隙間からちょこっと見える赤い瓦が、またいい感じに興味を引きます。

旧足立正別邸

徐々に顔を出す奥ゆかしさも備えているのが魅力です。

旧足立正別邸

全体像です。木造真壁のハーフティンバー様式です。

旧足立正別邸

格子に切られた窓の存在感がすごいです。まるで障子の様でした。

旧足立正別邸

小路の突き当り、建物の東側に奥まってちょこんとあるのが玄関です。名栗の表面にガラスの小窓が付いた重厚感のあるデザイン。玄関前の雰囲気は、左の壁に突き出た応接室のステンドグラスと相まって、レトロな洋館のようでとってもいい感じです。

旧足立正別邸

玄関脇の応接室です。暖炉やステンドグラスなど、瀟洒なデザインです。

旧足立正別邸

ドア横には菱型のポッチが。これは台所につながっている呼び鈴だそうです。各部屋に付いていて、食堂には足元にコンセント状のものも。ケーブルを差し込んで座りながらでも呼び出せるような工夫だそうです。

旧足立正別邸

応接室からは食堂に続きます。

旧足立正別邸

応接室とは異なって色合いもデザインもシンプルですが、荘厳な空間です。

旧足立正別邸

旧足立正別邸

旧足立正別邸

旧足立正別邸

アールデコ調の照明も素敵ですね。照明は、ほとんどが当時のままだそうです。まとめてみました。

旧足立正別邸

まとめついでにガラスもまとめてみました。左から応接室のステンドグラス、玄関ドアの小窓、食堂のガラス。

旧足立正別邸

更に、外壁の文様も。矢筈文様というのでしょうか。昔の建物の玄関に付けられた欄間によく見かけます。

旧足立正別邸

階段を上って2階に。

旧足立正別邸

バルコニーからの景色です。庭の木々の隙間から大峰山の斜面が。その向こう側が葉山の御用邸。

旧足立正別邸

見返ると、

旧足立正別邸

開き戸の内側には、同じデザインの網戸が付けられています。外から見ても違和感がないように考えられた、手の込んだ意匠です。

2階は家族の空間で、2間の座敷と4間の児女室が造られています。南向きの座敷は、主人の部屋。陽当たりも景色も最高です。

旧足立正別邸

北向きの座敷は奥さんの部屋?襖紙には鳥獣戯画が。

旧足立正別邸

児女室も独立していて、当時の住宅の流行が伺えます。夫婦の部屋が和室で児女室が洋室という事は、寝具も布団とベッドに分かれていたのでしょうか?生活スタイルの過渡期の状況がうかがい知れます。

旧足立正別邸

戦後米軍に接収され、接収解除後に現オーナーのお父様が購入されたそうです。

接収住宅については、ペンキで塗装されたとか、庭の雰囲気をだいぶ変えられたとかいう話を聞きますが、こちらは、1階の居間にバーカウンターが設置された程度で済んだようで、ほぼ当時のままの姿を残しています。

建物の価値はもちろんのこと、町並みへの貢献度を考えてもとても価値の高い建物ですし、オーナーも子供の頃から住み続け思い入れのある住宅ですので、そのままの雰囲気を引継いでくれる方を希望されています。

売却の条件につきましては、こちらをご覧ください。
ガレージ賃貸の旧足立正別邸詳細→http://www.garage-chintai.com/vintage/18166

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四方田裕弘
  • 四方田裕弘
  • 1976年生まれ、東京生まれ東京育ちで2人の娘の父です。建物、特に近代建築が好きで、ちょっとした旅行でも近代建築を探し当て、見に行ってしまいます。

    【保有資格】CPM(米国不動産経営管理士)/(公認)不動産コンサルティングマスター/ファイナンシャルプランナー/宅地建物取引士/管理業務主任者/相続アドバイザー