集合住宅の歴史探索 ~大人の社会科見学~
先日、集合住宅好きの青山物産でUR技術研究所に行ってきました。
1日に1組しか案内できないようなので、2ヶ月前くらいから予約しました。
URは、元々「日本住宅公団」で今は「独立行政法人都市再生機構」です。その研究所的なところで、とにかく集合住宅や暮らし等を研究しています。
最寄りの駅は北八王子駅。僕たちは車で向かったので、中央道で世田谷辺りからは一時間くらいでした。いくつか棟があり、それを案内人が説明しながら周って行きます。
最初は、「KSI住宅実験棟」、「環境共生実験ヤード」、「地震防災館」、「居住性能館」、そして「集合住宅歴史館」という順番で。その中でも「集合住宅館」が集合住宅マニアとしては、かなり興奮ポイント。
集合住宅の年表は、大体が1903年の世界最古のRC住宅はパリのフランクリン街のアパートから始まります。
※実際にパリに行って現地調査してきました。
日本で最古の鉄筋コンクリート集合住宅は1916年、長崎県の軍艦島30号館です。
同潤会が設立されたのが、1924年。1923年の関東大震災の復興住宅という名目で建てられていきます。
青山(現在は表参道ヒルズ)→代官山(現在は代官山アドレス)→清洲通アパート・・・
という感じで次々に建てられます。ちなみに現存しているのは、銀座線「稲荷町駅」から徒歩2分くらいのところにある、上野下アパートだけです。これも解体されるとかされないとか。。
■同潤会代官山アパート 1927年(昭和2年)
単身者向けの部屋
小上がりの寝台と机が備え付けられています。
ファミリータイプのキッチンと洗面台
寝室
ヒーターのデザインがレトロですね。
実際に色んな部屋で使われていたパーツを使って一つの部屋を造っています。ファミリー住戸は28平米、独身住戸は13平米で、今から考えるとかなりコンパクト。ですが、「立って半畳、寝て一畳」という言葉を考えると広めですね(笑)。
お風呂は共同ですが和洋の生活に対応するためにコルクの上に薄縁敷きとした居室の床仕上、水洗便所やガス設備、ダストシュートの採用など新しい生活の提案が見られます。
また避難用の縄梯子を備え、防火性能をもたせるため玄関扉には鉄板を巻くなど地震や火災への対策がとられています。独身住戸は造りつけの寝台や各所に設けられた収納、換気への配慮など住みやすさへの細かな工夫がみられます。
■蓮根団地 1957年(昭和32年) 2DK(33平米)
日本住宅公団が初めて造った代表的な住宅です。流し台はいわゆる人研ぎでダイニングで食事をする生活を促すため、テーブルが備え付けられました。ダイニングキッチンと2つの寝室を持つ住宅は2DK55型と呼ばれ公団住宅の代名詞になりました。
郊外に続々と建設された団地で、冷蔵庫をはじめとする家庭電化製品を使った核家族の暮らしぶりは、「団地族」として一種の社会現象になりました。
■晴海高層アパート 1958年(昭和33年) SRC造10階建
住戸:39平米(非廊下階住戸)、30平米(廊下階住戸)
非廊下階住戸です。
廊下側や中の部屋にも自然光が入るように欄間窓を採り入れていました。
案内図です。
整列されているから居心地が良い
エレベーターの落書き。いつの時代も同じですね。
前川國男氏が設計した公団初期の高層アパートです。氏はル・コルビュジェに従事しており、多大なる影響を受けています。フランスのマルセイユにある集合住宅、ユニテ・ダビタシオンはコルビュジェの作品ですが、とても影響を受けているんだなと感じました。
この集合住宅は、3層6戸分を一単位として住戸規模の可変性を持たせた架構方式の採用やスキップ形式のアクセス、従来の寸法にとらわれない畳など、戦後日本の合理性への追求が見られます。流し台は初めて採用されたステンレスのプレス加工のものです。
躯体の寸法精度の向上や、手摺等のプレキャスト化、内外装材の部品かなどの試みもおこなわれ、のちの工業化の先駆けとなりました。
集合住宅歴史館の話ばかり書きましたが、床の遮音性を体感してみたり、配管や鉄筋の歴史などパーツに分けるとキリがないくらいです。もっと居たかったというのが正直な感想です。
年に一回は特別公開で誰でも入れるみたいです。
僕らは、完全にタモリ倶楽部的なノリでしたが、優しい案内の女性が受け止めてくれました。マニアックな人が、ここにはよく来るようです。
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