原三渓富太郎の建築コレクション 国指定名勝三渓園

世界遺産に登録された富岡製糸場繋がりというわけではありませんが、横浜本牧にある三渓園に行ってきました。
繋がりって???という方も多いかもしれませんが、三渓園は、原三渓富太郎の私邸があったところ。原富太郎が興した原合名会社は、明治35年から富岡製糸場も運営しています。

詳しくはこちらに書いていますので読んでください。

さて、本牧ですが横浜の洋館が建ち並ぶ、かつての外国人居留地「山手」のひとつ山を越えたところ。電車が通っていない陸の孤島。バス便は充実していますが、車を借りてサクッと行くことにしました。
借りるはこのブログおなじみの、「カーシェアのカレコ」6時間パック。

個人が自邸の庭に作った建築博物館

17万5000平方メートル(東京ドーム3.7個分、新宿御苑や代々木公園の3分の1)の敷地には、10の重要文化財(12棟)、3の市指定有形文化財(3棟)が建ち、一大重要文化財建築群を成しています。

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正門から入ってすぐの大池です。奥には三渓園のシンボル旧燈明院三重塔が見えます。1457年(康正3年)京都の南、木津川市兎並の灯明寺にあったのを、1914年(大正3年)に移築したものです。康正3年といってもピンと来ないので調べてみると、太田道灌が江戸城を築城したのが、康正3年4月8日。室町時代の足利義政が将軍の時代ですから、鹿苑寺銀閣とほぼ同時期に建てられたものです。
燈明寺からは、原富太郎の没後ですが、本堂も1982年(昭和57年)に移築されています。こちらは昭和22年のカスリーン台風で倒壊したものを解体保存し、修復し移築したとか。

重要文化財で結婚式

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正門から入って最初にある建物「鶴翔閣」(横浜市指定文化財)です。1902年(明治35年)に原富太郎が自邸として建て、三渓園造成のきっかけとなった建物です。一日一組限定の貸し切りウェディングも行われています。

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当日も、結婚式の事前撮影で3組程のカップルの撮影が行われていました。文化財建築を背景にした、記念撮影も素敵ですね。鶴翔閣での文化財ウェディングは、ミルキーウェイという会社が運営しているようです。
また、横濱ウェディングというサイトでは、三渓園ウェディング以外にも山手の異人館での結婚式も紹介しているようです。
【横濱ウェディングのホームページはこちら】

江戸時代の建築も!?

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鶴翔閣前の睡蓮池。

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臨春閣1649年(慶安2年)築の重要文化財です。和歌山県の岩出町(現岩出市)に、紀州徳川家の別荘として建てられた巌出御殿を、1917年(大正6年)に移築したものです。この建物の由来には2説あり、もう一つは、豊臣秀吉の聚楽第の遺構というものです。原三渓が大阪の此花区で購入した(明治39年)当時は、後者だと聞いたようで、「桃山御殿」と呼んでいたそうですが、現在のでは、前者の紀州徳川家の巌出御殿が有力とのことです。

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購入時には「八州軒」と呼ばれていたそうです。和歌山県岩出市から大阪市此花区、そして横浜市へ。紀ノ川沿いから安治川沿い、三渓園の泉池沿いへと、約370年もの時代を、二度の移築を経て渡ってきた由緒ある建物です。八代将軍徳川吉宗も幼少期に過ごしたという記録もあるそうです。

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臨春閣を背景にした記念撮影。反対側から見ると、三重塔が。

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旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)1591年(天正19年)築の重要文化財。豊臣秀吉が建てたものと確認できる数少ない建物の一つで、母の長寿を願って建てた寿塔(生前墓)を覆う建物。1902年(明治35年)に移築されました。
門に彫られているのは、迦陵頻迦(かりょうびんが)といって、上半身が人下半身が鳥の、仏教の想像上の生物と蓮の葉。

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大池のほとりの三軒茶屋のひとつでお団子とお茶で休憩。

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山に囲まれ、近代的な建物が視界に入ってこない、希少な環境。

はまっ子の母は、子供の頃この辺りで祖母とあさりを獲りに来ていたそうですが、山の先は埋め立てられてコンビナートになり全くその面影はありませんでした。園内はあまり変わらないのかな。今度一緒に来てみよう。

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四方田裕弘
  • 四方田裕弘
  • 1976年生まれ、東京生まれ東京育ちで2人の娘の父です。建物、特に近代建築が好きで、ちょっとした旅行でも近代建築を探し当て、見に行ってしまいます。

    【保有資格】CPM(米国不動産経営管理士)/(公認)不動産コンサルティングマスター/ファイナンシャルプランナー/宅地建物取引士/管理業務主任者/相続アドバイザー