赤星鉄馬邸から、ご近所の山本有三記念館まで足を延ばす

赤星鉄馬邸の一般公開で、久しぶりに近代建築に触れて心地よくなり、このまま帰るのも勿体なく、近代建築のお替りをしようと、歩いて15分程にある、山本有三記念館まで足を延ばしてみることにしました。

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武蔵野市にある旧赤星鉄馬邸の一般公開に行く

作家・山本有三が家族と暮らした三鷹の家で、目の前に玉川上水が流れ、井の頭公園にも近い、静かな環境に建っている洋館です。
前回来たのが2015年ですから、8年ぶりの再訪です。

竣工は大正15年(1926)頃。清田龍之介という方の住まいとして建てられ、山本有三が購入したのは昭和11年(1936)で、進駐軍に接収される昭和21年まで、10年間居住したそうです。

スクラッチタイルや大谷石、その他のデザインから、フランク・ロイド・ライトの影響を受けていると言われていますが、設計者が誰であるかは分かっていないそうです。

建物の歴史やデザインに関する解説は、三鷹市山本有三記念館館報第8号の、内田青蔵氏の寄稿に詳しくあります。

ここからご覧いただけます。
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/report/

玄関です。

山本有三記念館

「ただいま~」って帰宅する姿が全く想像できません。
大谷石とスクラッチタイルしか目に入ってこない、贅沢な外観です。

玄関扉は二重になっていて、内部はアーチの天井に。

山本有三記念館

尖塔型の照明と玄関扉、尖塔アーチの天井がシンクロしています。

1階の、長女の部屋。

山本有三記念館

タイルで縁取ったアーチの開口に漆喰の天井。南側の庭に面したサンルームのような部屋は、寛げる空間です。勉強に集中できたのでしょうか。

食堂。

山本有三記念館

そして、応接間。

山本有三記念館

食堂と応接間は、遮る壁がありませんが、可動式の壁で仕切って2部屋として利用したりしていたそうです。
どちらにも暖炉があり、デザインが異なっています。

山本有三記念館

玄関横にある、待合室のような小部屋『イングルヌック』。
暖炉を挟み向かい合う座面の低い長椅子。
編集者がここで原稿を待っていたとか。家族団らんのスペースでもあったそうです。

階段室。

山本有三記念館

洋館の雰囲気満載です。
梁やステンドグラス高さのある踊り場。下から見ても、上から見ても雰囲気があります。

山本有三記念館

窓の金具も凝ったデザインです。

山本有三記念館

2階には南側の真ん中に和室の書斎。
ここで執筆をしていたそうです。

元々は洋室であったものを、和室に変えたようです。

山本有三記念館

庭が見渡せるバルコニーに面した窓を、障子で塞いでしまうのはもったいない気もしますが、広さも形も和室の書斎にするには丁度よかったのでしょうか。

南側の庭から見た外観です。

山本有三記念館

玄関側とは異なり、左右対称で邸宅の趣。窓のデザインはライト風。

玄関から庭に向かう通路に面した側面のデザイン。窓には格子が嵌められ、より中世の洋館のような重厚感のあるデザインです。

山本有三記念館

大きな庇と突き出た窓の部分は、トイレのあった場所です。
右手の大谷石に覆われた突き出た部分は、応接間の暖炉。

赤星鉄馬邸から、ふと思い立って寄ってみましたが、ひとも少なく、静かに心地よい時間を過ごせました。

久しぶりの街歩き、建物巡りの締めは、井の頭公園を抜け、池の橋から公園ビューのヴィンテージマンションを遠目に。

井の頭公園

町と建物を堪能した、充実した一日でした。

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四方田裕弘
  • 四方田裕弘
  • 1976年生まれ、東京生まれ東京育ちで2人の娘の父です。建物、特に近代建築が好きで、ちょっとした旅行でも近代建築を探し当て、見に行ってしまいます。

    【保有資格】CPM(米国不動産経営管理士)/(公認)不動産コンサルティングマスター/ファイナンシャルプランナー/宅地建物取引士/管理業務主任者/相続アドバイザー